メル友とのセックスにはまった人妻熟女
子供に手がかからなくなったときに女がやること

21歳のときに一人だけ子供を産んだので、ギリギリアラフォーのうちにもう子供が手を離れてしまった。
夫は単身赴任で随分前から大阪にいる。
子供の学校がこっちだったことと、自分も仕事があるので私は夫についていかなかった。
子供が独立して家を出てゆくのをきっかけに、私は両親からは
「大阪に行かないの?会社はあっちに社宅を用意してくれるのでしょう?こっちの家は私たちが時々見てあげるから、行きなさいよ。」
と言われた。
私は
「そうね。でも今、会社で大事なプロジェクトが進行中で、私は補佐的な仕事とはいえ今はやめられないわ。来年には終わるからそうしたらやめようかな。あと1年ね。」
子供の学費も終わったし、本当は私はそろそろ会社をやめたかったんだけど、周りの人たちが無茶苦茶忙しそうで、大したことをしていない私もとてもそこを逃げ出すわけにはいかないような雰囲気だった。
私は人生で初めて一人暮らしを経験した。
そして私は他にも、初めての経験をすることになった。
夫が単身赴任を始めときは、私は別に全く悲しくなかったけど、子供のいなくなったあとは思ったよりも辛かった。
子供の引っ越しの次の日、こっちで送別会があるというので、最後に一日だけ、子供はうちのガランとした自分の部屋に泊った。
次の朝、子供が本当にうちから出て行ったとき、私はベランダから子供を見送った。
手を振っている私を何度も振り返りながら、子供は駅のほうに歩いていった。
胸がしめつけられる光景だった。
今まで、私は何度もこうしてベランダから子供を見送ってきた。
でもいつもは私はあまり手を振ったことがなかった。子供も振り返らなかったし。
いつもは私はただ、笑って眺めているだけだった。
最後に子供を見送るこの日はちぎれそうに手を振る私だった。
仕事は忙しかったが、家に帰ると私は毎日、夜、泣いた。
今までは、仕事をしながら、毎日子供の世話、炊事、洗濯というかなり忙しい毎日だった。でも一人だったらご飯も適当でいいし、洗濯も毎日はしない。
そのことも、私に『センチ』な気持ちに浸るような”暇”な時間を作りだしたのかもしれない。
私は、夜、居間の写真立ての子供の写真を見てはしくしく泣いた。
何もない子供の部屋に入ってみては泣いた。
多分、子供がいなくなって3か月は毎日、びしょびしょ泣いていたと思う。
その3か月の間、休日に計9回くらいは子供の新しい家に遊びに行ってしまっていたにもかかわらず・・・だ。
私が泣かなくなったのは、というか、もう子供に執着しなくなったのは、4か月目に子供のツイッターを見ていたら、彼女との楽しい朝食の画像や、私が子供の引っ越し時に荷物にこっそりしのばせた、小さいころに作ってやったぬいぐるみを彼女さんが抱いて一緒に楽しそうに映っている写真を見てからだった。
いや、焼きもちとか嫌な気持ちではない。息子の彼女のことは知っていたし、何回も会ったことがあるし。
それに私の作った古い汚いぬいぐるみを抱きしめるなんて、なんて性格のいい彼女なんだと思う。
何も『負の感情』はない。
ただ、私は、もう涙も出ないし、悲しいとか寂しいとかいう気持ちも沸かなくなり、本当になんとなく胸の中がからっぽになった。
3か月で9回も息子の家に足を運んだ私だったが、私たち夫婦は、以前から、夫がこっちに帰ってくるのが月一回、私が大阪に行くのは、ふた月に一回あるかないかだった。
会ったらセックスをするときもあったし、しないときもあった。
息子がいるときからそうだったし、息子がいなくなっったからと言って、私たち夫婦は急にこっちと大阪の行き来を増やすわけでもなかった。
夫の浮気を心配しないでもなかったが、別居を始めたときから、私はあまり考えないようにしていた。
考えたところでしょうがない。
見つけたところでしょうがない。
私が大阪行きを多少増やしたとしても、やるときはしょうがない。
やるときはやるでしょうし。やらないときはやらないでしょう。
私が行く回数を増やしても浮気とそれは関係ないだろうと何となく思っていた。
・・・という感じだった。
息子から子離れしたあと、私は寂しくもないし、自分の心に隙間があるとも思わなかった。
ただ、時間ができた。
会社のプロジェクトが終盤に近づき、時間的にもさらに随分私も暇になってきていた。
私は一人暮らしの家に男を引っ張り込むようになった。
いやそんなつもりはなかった。
私は寂しいという自覚はなかったけど時間にまかせて、ネットでメル友というやつを作ってしまったのだった。
利用者が必ずしも『出会い系』という訳ではないLINEの掲示版を見ているうちに、私は気が合う人を見つけてしまった。
たまたま同じ県内で、話が会う同世代の男の人だった。
日常のことや、あたりさわりのないことについて何回もメールをやり取りして私はそれだけで楽しかった。
そのうち自然の流れで、お互いに写真を送ったりしているうちに、私たちは家がかなり近いことに気が付いて、これまた自然な流れで、じゃあ実際に会ってお茶でも・・・ということになった。
お茶のあと、次に会ったときに私たちはお酒を飲み、自然な流れでセックスをするようになってしまった。
最初はラブホテルだった。
なんだか照れて、遠慮しあって、ベッドの上でお互い座ったまま、相手の体を優しくさわりあった。
オーラルセックスなどはどちらもせず、正常位でオーソドックスに私たちはセックスをした。
そしてクールでもなく、激しくもなく私たちは礼儀正しく、また会いましょうと言って別れた。
安心して付き合えるような人だった。
何度度目かには、私は彼に私の一人暮らしの家に来てもらってしまった。
ただ私は家も近いし、無駄に外でラブホテル代を払わなくってもいいんじゃないかと思っただけだった。
またこの人なら家を知られても別に危険なことはないと思ったし。
そして、夫婦の寝室はさすがにどうかと思ったので、息子のいなくなったがらんとした部屋に、親戚が来たときに使うお客様用の布団を敷いて私たちはセックスをした。
家で私はリラックスしていた。
その日は私は
「上に乗りたい」
と言って、メル友の上に乗った。
夫に教えてもらった騎乗位だ。
私はメル友の上で腰を前後に動かした。
私が腰を動かすたびに乳房も揺れた。
メル友は手を伸ばして、私の乳房を掴んだ。
乳房を揉まれながら、腰を動かしてから、その後、私はやや後傾になった。
その姿勢で自分のアソコとメル友のアソコが密着したり離れたりするのをメル友に見せつけながら、私は上下に動いた。
メル友は両手で私の腰を掴み、自分も下から私を突き上げた。
腰を抑えられたまま、私は結合部分をメル友に見せながら上下に動いた。
やがて、メル友は私を乗せたまま、結合したまま、上半身を起こしてきた。
私たちは座位になった。
向かい合って抱き合って、下から私は突き上げられた。
密着する体と背中に回された手が熱かった。
私を上下に動かしてから、今度はメル友は、結合したまま私をゆっくりとそのまま仰向けに寝かせていった。
正常位になり、私の両脚を持ち上げるとメル友は激しく出し入れをした。
私が大きな声を上げ始めると、メル友は私の上半身の方に倒れてきた。
メル友は私におおいかぶさりながら、腰を動かした。
****
子供が家を出て行って約1年後、会社のプロジェクトが終わったとき、私は夫の元へ行かなかった。
会社での役職が少し上がったので、もう少し仕事をしたいと理由をつけて。
夫に会ったときに目を輝かせて、
「役職が上がったのよ!私、嬉しくて!嬉しくて!当分、仕事やめられないわ!」と私は言った。
演技で・・・・・。
本当は、その役職とは月給が600円くらいあがる程度のもので、真面目に仕事をしていれば、誰でも上がるものだったのだけど。
しかも、私は他の人より遅めに上がったので、「やっと上げてくれた!遅い!」と嬉しい感情も何もないものだったのだけど。
もちろん本当の理由は、セフレになっていたメル友と離れられなかったからだ。
私は一人暮らしの家で、メル友とセックスを繰り返していた。
しかし、その数か月後、私は、会社をやめて大阪に行くと夫に言った。
仕事はいいのか?と問う夫に私は
「やっぱり、夫婦がいつまでも離れているのっておかしいと思うの」
と言った。
実は、これまた嘘だった・・・・。
本当の理由は、最近、メル友が忙しそうでなかなか会えなかったので、つい何気なく他のメル友を探してしまった私だった。
それで、私は、新しく見つけた気のあう大阪のメル友とエッチを試したくなってしまったのだった。
------終わり-------------
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