敵地広島で、『夜のキャノン』をおみまいされるソフバンファンの人妻たち

広島の夜は、キャノン砲、炸裂じゃけん!


ピンクのチャイナドレスで脚を開いて、膝に手を置いて立っている

37歳、人妻、子持ちです。

私の子は高校で野球部に入っています。
この野球部は今はそんなに強くないのですが、昔、有名な強豪高だったので、ここは伝統的に生徒の親御さんは部活に熱心でした。

野球部の試合の応援や、その他の行事に参加しているうちに私は、息子の2才年上の学年の先輩の部員のママさんたちに可愛がってもらうようになっていました。
というのは、私の息子は1年生のときからレギュラーで、そのとき3年生の先輩たちとご一緒させてもらうことが多かったからです。

その先輩の学年のお子さんたちは、今年の春、高校を卒業しました。
先輩ママの皆さんは、お子さんに手がかからなくなり、急に暇になったお時間ができたようでした。

自分のお子さんはもういないというのに、うちの高校の試合の応援によく来てくれました。

でも、うちの息子の学年はママさんたちの時代よりさらに弱くなってしまい、公式試合は予選の途中ですぐに終わってしまいます。

暇なお時間のあるママさんたちは、次にプロ野球にはまっていきました。

特にソフトバンクホークスの主砲の●△選手に夢中になった一人のママさんは・・・マミさんというのですが、ものすごい熱量でした。

マミさんは最初は同学年の皆さんを誘って、ソフトバンクの試合観戦をしていたのですが、誰もつきあってくれないとなると、私を誘い始めました。

私はマミさんにちょいちょいつきあって、ソフトバンクの試合を見に行きました。

マミさんの影響を受けて、そのうちに私もソフトバンクのファンになりました。
しかし、私もそうしょっちゅうはつきあってもいられません。

私がお断りすると、マミさんはたった一人でも観戦に出かけるようになりました。

そしてマミさんは野球場で、新しくディープなソフトバンクファンの人たちとお友達になったようです。
パワフルで明るいマミさんはどんどんお友達の輪を広げていました。

さて、マミさんの愛するソフトバンクは、今年、日本シリーズに出場することになりました。

マミさんは大喜びでした。

そして、マミさんは球場で知り合ったディープなホークスファン友達からのつてで、なんと、日本シリーズの観戦チケットを手に入れたのでした。

ご家族の分も含めて3枚も。

しかし、それは広島でやる試合です。
私たちが在住の県とは、そこそこ遠い場所です。
それにあまりに急だったので、マミさんのご家族は行けませでんした。
同学年のママ友さんたちも都合が合わなかったようです。

そこで、白羽の矢があたった私に電話がかかってきました。
「みっちゃんママ(私の呼び名)!一緒に広島に行こう!」
と。

えーっ!

「”次郎パパ”の運転付きだからさ!」

”次郎パパ”というのは、マミさんの息子と同学年の次郎君という人のお父さんです。

お子さんが在学中は熱心に応援に来ていたお父さんでした。

ちょっと私の好みのタイプの男性だったので、たくさんの親たちの中であっても、”次郎パパ”がいると、私はすぐ気がつきました。

でも、次郎君の卒業後は、次郎パパには私はしばらく会っていませんでした。


そう言えば、”次郎パパ”さんは熱心な広島ファンときいていました。

日本シリーズのチケットをさしあげるので、広島まで運転をしてもらうという交換条件がマミさんとの間で成立したようです。


「みっちゃんは合宿に入っている優秀組なんだから、あなたがお世話にしなくていいでしょう?行きましょうよ。」
とマミさんは私に言いました。

そう、私の息子は確かに野球部の中で18人だけ入れる合宿所で寝泊まりさせてもらっているので、その日本シリーズの当日も家にはいませんでした。
ちょうど土曜日だったので、私の仕事も休みでしたし。

私は自分の夫に了解を得て、広島に行くことを決めました。

日本シリーズの当日、待ち合わせの場所に次郎パパがいました。

彼はますます渋くなり、素敵ないいおじさんになっていました。

私たち3人は、次郎パパの車で広島に向かいました。
私も途中で少し交代して運転をしました。

ピンクのチャイナドレスでおどけて立っている

球場はほとんど広島ファンでいっぱいでした。
真っ赤っかでした。

私たちは狭く区切られたソフトバンクファンの席に座りました。

カープファンの次郎パパは赤いほうに行きたそうでしたが、しょうがない。

さて、試合は広島ファンのものすごい大声援で大盛り上がりでした。

しかし試合の内容としては、こちらの方が大盛り上がりすべき内容でした。
この試合でソフトバンクが日本一を決めたのでした。

マミさんは泣き叫び、狂ったように大喜びでした。
私も試合には夢中になりましたし、とても感動しました。

次郎パパはガックリしていましたが、「まあよい試合を目の前で見られてよい思い出になった」と言っていました。

私たち3人は、次の日の午前中にこの地を去る予定でした。

取りあえず今夜は飲みに行こうということになり、広島の街に繰り出した私たちは、お好み焼きのある居酒屋に行きました。

そこには、やけ酒で大騒ぎする広島ファンたちがいました。

しまった。
よく何も考えずに、美味しそうだからという理由だけで入ってしまった。

私たち3人が入ってくるのを何人かの先客がジロリと睨みました。

席に着くと、私はかぶっていたホークスの帽子を静かに取り、バックにしまいました。

マミさんも帽子は脱ぎましたが、ホ―クスのユニホームを着ていました。

お店の他の客達からは時々、嫌な視線を感じます。

3人で、小声でビールで乾杯をしたあと、ホークスのユニフォームを脱ぐために、マミさんはトイレに向かいました。


マミさんが席を外すと、次郎パパは私に言いました。
「マミさんが、”みっちゃんママ”も誘うって言ったから、今日は無理して来たんだ」

え?

「だってさ、卒業しちゃうと、違う学年の人って会わないじゃない?
しばらく会ってないからさあ、みっちゃんママに会いたいなあと思って」
と次郎パパは言いました。

次郎君の在学中もそんなに親しかったわけじゃないのに、私のこと、そんな風に思っててくれたんですね。
嬉しい。

そこでマミさんが帰ってきました。

私たちはお好み焼きを食べて、今日の試合をあれこれ振り返りました。

お好み焼きを一枚食べたら、すぐにカシを変えるつもりだったのですが、2杯、3杯飲んで話に夢中になっているうちに、周りの広島ファンのことを忘れてしまいました。

いつも陽気でお茶目なマミさんは、大好きなホークスの4番打者のバッティングの真似のジェスチャーやら、今日、広島の盗塁がアウトになったときの様子などを再現して、私と次郎パパを大笑いさせていました。

そのときでした。

「おたくら、タカのファンかい?」
随分酔った感じの目つきの悪いカープの帽子をかぶったお客さんが私たちの席に声をかけてきました。

やばい!

それを皮切りに、他の広島ファンの人たちが私たちに向かっていろいろ、言い出しました。

このシリーズは審判がソフトバンク寄りだったとか、他、いろいろ。

私たちは、軽くからまれはじめたのでしょうか?

居酒屋で私たちは4人席に3人で座っていました。
マミさんの隣の席はホークスグッズの入った大きな鞄が置いてあります。
それを押しのけるように、そこに一人の広島ファンのお客さんが座ってきました。

うわ・・。どうしよう・・・。

そのとき次郎パパが言いました。

「私は大のカープファンですよ。
今日はこのお二人につきあってのアッシー君ですよ」

周りの広島ファンはドッと受けました。

アッシー君って、何?と思いましたが、ともかく急に店内がなごみました。

マミさんの隣に座った男性は、次郎パパにビールのお酌をして、急にフレンドリーに話しはじめました。

世代も同じだったみたいで、その昔のカープの話などもし始めました。

私たちは店内の広島ファンのお客さんにどんどん飲まされました。

気がつくと、いつしか、こっちのテーブルでは、次郎パパと広島ファンのおじさん二人が広島の話をして盛り上がり、私がそれに対して笑ったり、あいづちを入れたり、感心したりする形になっていました。

いつしか、マミさんは他のテーブルに移動していて、そちらで今日会ったばかりの広島ファンの人たちと、大笑いしながら盛り上がっていました。

場所を変えるつもりが、すっかりここに入り浸って私たちは飲み続けました。

いい加減遅い時間になり、そろそろホテルに帰ろうかと次郎パパが言い出しました。
「そうですね」

マミさんはさっきまでは、広島ファンの親父たちの中でアイドルみたいになってたのに、いつしか店のはじっこで、一人の人とだけ話し込んでいるようでした。

とっても楽しそうに、ひとりのガタイのいいカープ帽をかぶった男性と二人だけでイチャイチャ話していました。

「そろそろ帰りましょう。マミさん」
私はマミさんに声をかけました。

「もう少し。もう少しだけ、お話していたい。
お願い、先に帰ってて。
私ももう少ししたらすぐ帰るから」
とマミさんは言うじゃあありませんか?

しょうがないなあ。
私たちの宿泊しているホテルはこの居酒屋の目と鼻の先だし、まあいいか。

私と次郎パパは先にホテルに帰ることにしました。
とにかく明日、長距離運転しないといけないから、私たちは寝ないといけないし、アルコールも抜かないといけないし、



私と次郎パパはホテルに帰りました。

私がお風呂を出た後も、まだマミさんが帰ってこないので、心配になって私は次郎パパの部屋のチャイムを押しました。
「迎えに行かなくって大丈夫でしょうか?」

「彼女は大丈夫、大丈夫。
知っているでしょう?
マミさんの酒豪ぶりと、パワフルぶり」
と次郎パパは言いました。

次郎パパは、ホテルに備え付けの浴衣姿でした。
ちなみに、そういう私も浴衣姿でしたが。

ドアのところで話すのも何なんでということで、私は次郎パパのお部屋の中に招かれました。

お部屋にはもうお布団がしいてありました。

そこで、マミさんをどうしようという話をしていたのに、いつしか、いろいろマミさんと次郎パパのお子さんの学年の武勇伝などの話になっていきました。

次郎君たちが1年生のときには3年生が強かったので甲子園大会に行ったときのおもしろい話などもききました。

そうこうしているうちに、気付くと、私と次郎パパはとても近くに座っていました。

話が途切れ、少し沈黙が続いたあとでした。

次郎パパの手は私の腰に回っていました。

浴衣の薄い布地から次郎パパの熱い手の温度が私の身体に伝わってきました。
私はそれを拒みませんでした。

次郎パパにしばらく腰を抱かれてじっとしていたあと、口づけをされました。
私はそれでも逃げませんでした。

そして私はお布団の方に連れていかれました。

次郎パパの浴衣がはだけると、下着の上からでもわかるくらいにアソコはビンビンになっていました。

私はそこに近づき、下着の上からそこを手を抑えました。

脈うつかのような、ギンギンの次郎パパのモノでした。

私は静かに次郎パパの下着をずりおろしました。
私の見たことのないような大きなギラギラしたモノが出現しました。

そのギラギラした男性器を手につつみ、私は次郎パパの顔を見上げました。

次郎パパは微笑みながら私を見下ろしていました。

その表情を確認したあと、私は顔を下に向け、次郎パパのそこにお口をつけました。

少しの間、私はその”大きな大砲”をペロペロしたり、撫でまわしました。

そのあと、私はお口をアーンと開いて、大きなモノを一生懸命、お口に含みました。
苦しいくらい私の口いっぱいでしたが、必死で頭を前後に動かし、次郎パパの大砲を自分のお口で出し入れしてみました。

でも、先端がすぐに私の喉にぶつかってしまい、うまくできませんでした。

次郎パパが私の肩に手をかけました。

私は口から、次郎パパの男性器を出しました。
その後、次郎パパは私を寝かせました。

そして次郎パパは今度は私の浴衣をはだけさせ、脚を広げ、その真ん中に顔をうずめました。
恥ずかしながら、私はノーパンだったのです。

私の小さな突起部分や、もうヌルヌルだった穴付近を次郎パパに舐めまわされ、私は感じてしまいました。

突起部分をチューチュー吸われたときには、もう頭が狂いそうで、そこで一回イッてしまいました。

私は前戯で一回イクと、そのあと膣の中に入れられると、もっと狂ってしまいます。

次郎パパの大きなモノが、私の穴をこじあけて入ってきました。

「ああっ!いやあ!壊れちゃううう!!!」

次郎パパのモノが私の壁をミシミシこじあけて奥に侵入してきました。

ああああ!!
次郎パパのモノが私の中にいっぱいいっぱいです。

圧迫感というか、充足感というか?
ああ!ああ!どうしよう!!

そして、私は次郎パパにピストン運動されました。

私の感じる壁の部分や、奥の方を次郎パパはつつきます。

ああ!大きいだけじゃないわ!
いいっ!いいっ!動きがいい!
気持ちいい!

あまりのめくるめく快感に、髪を振り乱し、おっぱいを振り乱し、みっともなく私は身体をくねらせていたと思います。

さんざんこすられ、私が再びイッテしまったあと、次郎パパは
「俺もイクよ」
と言いました。

ズドーン!!

コンドームを通してでも、彼が激しく脈打ち、ドクドクと私の中に砲弾が流れ込む感触がわかりました。


*****

結局、朝になってもマミさんはホテルに帰ってきませんでした。

『午前10時半のチェックアウトの時間までには必ず帰る』
とだけ、深夜にLINEがありました。

私と同じく、マミさんも広島のキャノン砲をあびていたのでしょうか?


-----------終わり---------------

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