最終回・ヌードモデルと画家の家④
エロ画家の家の”若女将”誕生

★前回までの話 はこちら ヌードモデルと画家の家① ヌードモデルと画家の家② ヌードモデルと画家の家③
雑用の仕事をするために、画家のX田さんの家でバイトを始めたのに。
私は、X田さんにレイ●プされかけました。
やっぱりX田さんは私を犯し、ヌードモデルにさせるつもりだったのです。
私は、X田さんの家を逃げ出しました。
そのまま、警察に飛び込もうかとも思いましたが、私はX田さんの息子のP男さんの顔を思い浮かべました。
可哀想なP男さん。
あの人を犯罪者の息子にしてはダメだ。
それに。
私のキックにより、X田さんがどうなったかわからない。
大怪我してたらどうしよう。
もしも、刑法的に私の”過剰防衛”ということになってもマズイし・・・。
*****
P男さんから、次の日、私に電話がありました。
「菜々美さん。
昨日は最後までご一緒できなくってすみませんでした。
ケーキは召し上がっていただけましたか?」
私が何も答えられずに言葉に詰まっていると、
「どうかしました?
ま、まさか、親父と何かあったんですか?」
とP男さんは言いました。
私は、スマホを持ったまま、首を振り、こう思いました。
(可哀想なP男さんに心配をかけてはダメだ)
私はX田さんに襲われたことは言いませんでした。
「い、いえ。別に。
ただ、お仕事は、やっぱりやめさせていただくことにしました」
「そう、よかった。
それがいいですよ。
普通の人には無理ですよ、あの家は。
あ!
それでは、昨日僕がチラッとお話した件、いかがですか?」
私はそれが何の事か忘れていましたが、P男さんのお勤め先の会社でのアルバイトの話でした。
「我が社のホームぺージでも正式に募集しているので、一度、それを見てください。
それを見て、もし仕事の内容が気に入ったら、僕にまたご連絡ください。
そうしたら、会社の人事担当の者から、直接、菜々美さんにお電話させてもらいます」

その後、私は、土日はP男さんの会社で働くことになりました。
P男さんの家と会社は、あの忌まわしいX田さんの家からは、ずうっと遠くに離れていました。
私は安堵しました。
今度のバイトは、ごく普通のパソコンを使った入力事務でした。
このエロブログの作者のことだから、P男さんの会社もとんでもない会社だった!というオチも想定されましたが、大丈夫でした。
きちんとしたオフィスビルで、私は静かに黙々と仕事をしました。
P男さんとは違う部署でしたが、彼が休日出勤の日や、会社全体のレクリエーションの場などでは、顔を合わせることもありました。
私とP男さんは、徐々に親しくなっていきました。
会社のサークル活動みたいな福利厚生の部活みたいなところで、P男さんは絵を描いていました。
私も時々見せてもらったのですが、お花などの静物や風景画が多かったのですが、ある日、社内報でP男さんの人物画を見かけました。
なんと、それは私の絵でした。
その絵の自然の中に登場する女性は、私が会社の人やP男さんと高原に遊びに行ったときに着ていた服装をしていたので、私には自分だとわかりました。
あの忌まわしい日に、P男さんが描いてくれた鉛筆画とも、また違いました。
明るい色使いのしっかりした油絵で、自然の中にいる、優しそうな、なんとも幸せそうな私でした。
また、私は5割増し美人に描かれていたので、あまり会社の人には気づかれませんでした。
アルバイト仲間の親しい人お一人だけに、
「あは。P男さんのこの絵、ちょっと菜々美ちゃんに似てるよね」
と言われただけでした。
「スマホで菜々美さんを盗み撮りした写真を見て描いたんで、本当はインチキだけどね」
と、P男さんは恥ずかしそうに私に告白しました。
そして、私はP男さんから、初めて正式に交際を申し込まれたのでした。
「今度は、現物の君をちゃんと見ながら絵を描きたい。
僕とお付き合いをしてください」
*******
その後、公募している展覧会に出したP男さんの私の絵(洋服着てますよ)が入選したり、P男さんがパソコンで描く、もう少しポップな絵が、少しずつ売れたりしてきた頃、X田さんが倒れたという話を聞きました。
「親父は、今入院している。
どうも深刻らしい」
と、P男さんは悲しそうに言いました。
P男さんは多分、父親に対して複雑な思いを持っていたと思いますが、やはり親子です。
しかし、私は不謹慎なことをチラッと考えてしまいました。
このまま、私がP男さんと深い付き合いになっても、X田さんがいる限り、絶対に結婚はいやだと思っていましたので。
(このままX田さんがお亡くなりになってしまえば・・・・・・)
でも私は、その自分の恐ろしい考えに首を振りました。
(ダメよ。そんなこと考えちゃ)
*****
X田さんの病状は、どんどん悪くなっていきました。
あまりに落ち込むP男さんを見て、私は初めてP男さんに体を許しました。
私なんかでも、慰めになればいいと思って。

P男さんにある日、言われたのです。
「菜々ちゃん、君の裸の絵が描きたい」
(そのころ、P男さんは私をそう呼んでいました)
その頃よくデートしていた、緑の多い、大きな河原にあるベンチに座っていたときでした。
「それはダメ。
絶対いや」
私がそう言うと、P男さんは悲しそうにうつむきました。
私は言いました。
「どうして、ここで”裸の絵”を描きたいになっちゃうのよ?」
P男さんは、顔を上げて不思議そうな表情をしました。
「普通は、”君の裸が見たい”とか、もっと、”なんかしたい”とかなんじゃないの?」
私が笑いながらそう言うと、P男さんは恥ずかしそうに言いました。
「そ、それももちろんだけど」
私は、その夜、P男さんの狭いマンションで抱かれました。
お部屋に入った途端に、立ったままP男さんは私を抱きしめ、キスを繰り返しながら私のお尻をまさぐりました。
私は唇を吸われ、舌をからめられ、お尻をまさぐられました。
狭いマンションです。
玄関からベッドが見えました。
私は抱きつかれたまま、そのまま、勢いで押されて、一気にベッドに押し倒されそうでした。
P男さんが一瞬キスをやめて、ハアハアしながら私の顔を見たときに、
「ね、ね、ちょっと待って、待って。
お風呂に入らせて」
と私は一生懸命、言いました。
私がバスルームから出て来ると、バスタオル姿の私をもう一度抱きしめ、キスをしたあとP男さんは名残惜しそうにお風呂に入りました。
私は、ベッドに横たわりP男さんを待ちました。

ベッドに来たP男さんは、私に体重をかけないように、私の体に優しく乗っかってきました。
私にキスしながら、バスタオルを外し、私の乳房と乳首を撫でました。
「あ・・・」
私は軽い声をあげました。
私の乳首にP男さんが口をつけたとき、私はもう、とても感じていました。
乳首を舌先でつつかれたり、吸われたりしました。
「アン!・・・あん!・・・あ!」
随分長いこと私をアンアン言わせたあと、P男さんは私の股間に手を伸ばしました。
P男さんは、私のソコをクチュクチュいじりました。
私のそこから液体がたくさんあふれてきたときに、P男さんの肉棒が私の中に押し込まれました。
「ああ〜ん!」
太い物が、私の股間の穴を押し分けるように入ってきました。
P男さんの肉棒は、私の中で暴れ出しました。
私の液体のあふれる穴の中の壁を擦り、奥の方をつつき、激しく動きました。
P男さんにたくさん出し入れ出し入れされて、私は体をよじらせて、大きないやらしい声を上げていました。

何回もイカされてしまった私が、クタクタになって寝ている脇で、P男さんは立ち上がりました。
「喉が渇いちゃった。
菜々ちゃん、何か飲む?
牛乳とオレンジジュースとポカリスエットしかないけど」
私は、グッタリと横たわったまま、
「私はいいわ」
と言いました。
P男さんはベッドから立ち上がると、すぐそこに見えるキッチンの水道に向かいました。
そして水道の蛇口をひねり、水道から流れる水に対して顔を横にして、水をガブガブ飲みました。
その光景を見ながら、私はぼんやりと思い出しました。
(ああ、Q子さんが言ってた。
いつもミルクティを飲んだり、あの日はワインを飲んでいたX田さんだったけど、仕事にノって集中しているときは、水道水を飲むって。
ああ、親子ね)
***
P男さんの絵が、世間で、
『X田画伯の長男は普通のサラリーマン。
画伯とはまた違った味の絵が魅力』
『情熱的だった父の絵とは違う、優しい感覚が今風』
などとささやかれるようになった頃、X田さんがお亡くなりになりました。
P男さんは、決断しました。
「会社を辞める。
母に泣きつかれたんだ。
自分はあの家を継ぐ。
親父の絵の版権の管理なんかの仕事がメインだけど、それをやりつつ、まだ全然自分の絵だけでは食えないけど、絵を描いてゆくことに決めた」
P男さんは、私に言いました。
「菜々ちゃん。
こんな男について来てくれる気はあるかい?」
私は、P男さんと結婚することにしました。
仕事を辞め、あの家に嫁ぐことに決めました。
そして、ずっと頼まれても断っていた、自分の全裸の姿を、今後はP男さんに描かせることを了承しました。

(フェルメールと勝手にコラージュ)
Q子さんと小夜子さんは、まだあの家にいました。
「P男が菜々美さんの絵を描くためなら、いくらでも協力するわ」
とQ子さんはおっしゃってくれました。
小夜子さんは、
「X田先生が亡くなったので、私は、もうお役御免ですわね。
出て行きます。
あとは、菜々美さんよろしくお願いしますね」
と言いました。
私は知らなかったのですが、小夜子さんはここではほとんど無償で、住み込みで働いていたようでした。
Q子さんは、小夜子さんにすがるように言いました。
「いやよ!
うそでしょ?
あの人が死んだばかりなのに。
あなたまで行っちゃうの?
あなたは、主人の絵の、主人の情熱の、一番の理解者じゃないの?
ね、ね、お願い!去らないで!」
これも思いもよりませんでしたが、X田さんの妻であったQ子さんも、X田さんと小夜子さんの関係を認めていたようだったのです。
「あの人の後期の作品は、小夜子さん、あなたと二人三脚で作ってきたようなものよ!
初期の頃はもちろん、私と主人の二人三脚だったけど!」
でも小夜子さんは頑なでした。
「いえ、私はおいとまします。
もうX田先生はいないのです。
みんな、新しい道を生きて行かなければならないのです」
するとQ子さんは、泣きそうになりながら、今度は自分の息子のP男さんの方を向きました。
「ね!ね!
P男!
あなた、小夜子さんの絵も描けるわよね。
モデルとして残ってもらいましょうよう」
P男さんは、首を振りました。
「無理です。
申し訳ないが、それはお断りしたい。
小夜子さんの絵は、僕は描けません」
母も了解の上とはいえ、父と不貞関係のあった小夜子さんのことをP男さんは許せないようでした。
「もっともですよ。P男さん。
私の存在が、あなたをどんなに傷つけたか」
と、涙をうっすら浮かべる小夜子さんでした。
すると、Q子さんは今度は、すがるような目で私を見ました。
その目は、必死に私に何かを求めているようでした。
私は、冷静でした。
私は、お三人と違って冷静でした。
私は、ゆっくりと言いました。
「もちろん。
小夜子さんには、
残ってもらいましょうよ」
P男さんは、驚いた顔で私を見ました。
私は、3人に説明しました。
「X田先生を理解していた小夜子さんには、先生の絵の宣伝や版権の管理などの仕事をやってもらうにはふさわしい人だと思います。
そして、モデルの仕事も時々やっていただいた方がいいと、私は思います。
小夜子さんとの化学反応で、P男さんの絵の世界も広がるような気がするんですよ、私は」

(安藤広重と勝手にコラージュ)
しばらく、この家の以前のような体制で、私がモデルの日、小夜子さんがモデルの日などを繰り返しました。
P男さんは、精力的に絵を描きました。
意外にお父上に似て、きまぐれ画伯だったP男さんのために、Q子さんを中心に私たちは、きめ細かく生活のお世話や、雑用全般もやりました。
また、私が熱心にQ子さんとP男さんに頼むと、最初は嫌がっていた二人が了承してくれたことがあります。
私は、母親Q子さんもヌードモデルにして、P男さんに絵を描かせたのです。
それは、P男さんの絵の新たな世界を切り開かせました。
P男さんの母に対する愛や複雑な思いが、見事に描き上げられました。
****
しかし、数年後、せっかくP男さんが売れてきたころに、今度はQ子さんがご病気で亡くなってしまいました。
小夜子さんには、モデルとX田さんの絵の版権の管理の仕事だけではなく、その頃には、P男さんの絵の宣伝や広報などの仕事もあって大変、忙しくなっていました。
私も毎日、毎日、夫のためにヌードモデルをしたり、世話を焼くのは大変になってきました。
また他の人は全然気づかないけど、P男さんが実はなんだか最近少し、絵に煮詰まっているような気配も、妻の私は感じ取っておりました。
私は、以下のように、家の門に貼り紙を出し、ネットにも公募を出しました。
ネットには、綺麗なうちの外観と、綺麗な庭の写真も大きく載せました。
アルバイト募集
画家の家でできる簡単な仕事です。
高給。
週2から。
時間、応相談。
興味ある方はご連絡ください
終わり
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