夜の”ふるさと納税”

O阪の人に『おま●こ』を『おめ■』って言えって、言い直された


赤と黒のボンテージ衣装で脚を組んでお股を見せている
私の会社は全国に支社・研究所・工場があり、社員は様々な地域に転勤させられます。

社員は、視野を広げるため、見聞を広げるためや、修行のための意味もあり、人生のうち(?)最低でも必ず数か所の地域には異動させられます。

もっとも、おうちの都合や他、様々な理由で自分の選択で”転勤しない社員”もいるのでした。

しかし、”転勤したくないです”のその選択をすると、転勤ありの社員よりも少しだけ給料が安くなってしまう仕組みでした。

新入社員のときに研修が終わり、いよいよ、明日、自分がどこの事業場に配属されるか発表される前に私は
「絶対無理!
地元を離れるなんていや!
私には無理!
東京を離れるなら、会社辞める!!」
と仲間に泣きごとを言いました。

「大丈夫だよ。
新入社員も全国に散らばるけど、全体の約半分だっていうよ。
出身学校、もしくは、出身地の地元に残る人も半数はいるっていうよ」

「線の細そうな子や、メンタル弱めそうな新入社員は、いきなりは飛ばさないらしいよ。
ソコは配慮するらしいよ」
と新入社員仲間は言ってくれました。

しかし、私は会社から、メンタルが強そうな子だと思われたようでした。

私はいきなり、自分と縁もゆかりもない全く関係のない、地元から遠い地に配属されることになりました。

そして、ホントに私はメンタルが強かったというのか何なのか?順応性が高かったみたいです?

最初は地方転勤に怯えたのに、その後はそれが一体何だったのかというくらい、どこの地域に行ってもいつも楽しく仕事ができ、幸せに暮らせました。

さて、社員をびゅんびゅん転勤させる会社と言っても、闇雲にするわけではありません。

例えば、研究系の社員は全国に二つある研究所か、全国に10数か所ある工場の研究部門のどこかに配属されます。

営業系は全国の各都道府県にある営業支社のどこかへ。偉くなってもどこかの数県の地域全体をまとめる営業の長。
それ以上、マジでエラクなれば、最後は本社ですけど。

マーケ系や販売促進系は、販売や営業支社など現場を経験したあと、本社へ。
そして、また営業支社などに戻る場合もあります。

経理系の人や、私のような”総務系”の人間はどうでしょう。

経理部と総務部は各支社にも工場にも研究所に本社にもあります。

つまり私はどこにでも配属される可能性があったのです。

しかも勉強のために、総務部系の社員と経理部系の社員は、若いうちに必ず、”営業支社”と”工場”という、ジャンルの違う2種類の部門を経験することが、偉くなるための最低条件となっていました。

私が新入社員のときに赴任した営業支社は、東京から遠い、生まれて初めて足を踏み入れた地域にありました。
そこは、街中からほんの少し車を走らせれば、大変美しい自然が広がるところでした。

この地での歓迎会で、今まで食べたこともない地元特産の美味しい物をたらふく御馳走になり、私はすっかりこの地が気に入ってしまいました。

しかし、歓迎会の席で酔ったベテランおじさま社員さんたちに
「東京から、若い可愛い子が来るってきいたから」
「久しぶりなんだよ。うち、新入社員が来るの。
「めでたいな。
まるで、ふるさと納税だされたみたいだな?と思った。」
とふざけたように、言われたときに
「あははは?は?」
と私は思いました。

意味がわかりません。

しかし、まあ、私はここの地を気に入りました。


数カ月後、私はここの営業支社の複数の人たちとエッチしてしまいました。

そのころ、仕事の経験もないし、自分の仕事もままならず、親切にお時間を使って色々仕事を教えてくださる人たちに私は仕事で応えられませんでした。
恩返しできませんでした。

代わりに私は、皆さんに口説かれるたびにお股を開いていました。

そのころの私には、それくらいしか自分がこの営業支社に貢献できることがなかったからです。

******

この、特産品の食べ物の美味しい、自然の美しい地域で務めたあと、数年後次に私が配属されたのは、失礼ながら、なんていうか、一般市民の人からして、東京育ちの私から見ると、ちょっと漫才師みたいな人の多い地域のにある工場の総務部でした。

ああ、でもここは母の祖先の大元の実家のある地域でした。
それだけで、なんだかこの地に私には親近感がわきました。

そこで私はまた色々エッチをしてしまいました。

社内に取り入れるPC関係の営業さんとかや、そのころ、私はO阪工場の(あ!地域名出してしまってるやん!)社員食堂の運営を担当していたので、そこのコックさんともセックスをしてしまいました。

もちろんうちの社員さんともいたしました。

*****

工場の社員とラブホでイチャイチャしているときに、私はすぐにとても濡れてきてしまって、エッチ気分が盛り上がってしまいました。

普段は、いつもは自分からおねだりできないのですが、私はそのときおねだりしてしまいました。

「もう入れてええ!」

そのときのエッチの相手の彼は言いました。

「何?
何を入れてほしいの?」

私はビックリしました。
東京でつきあった男や、あの新入社員時代の綺麗な地方でつきあった男たちはそんなこと口にしなかったからです。

「あなたのを入れてほしいの」
と私は言いました。

「あなたの何を?」
と彼はエッチな目つきで言いました。

「ちゃんと言わないと入れてあげないよ」
赤と黒のボンテージでお股を抑えて立っている
いやあ!もう早く入れてほしい!
私のアソコはもう、あなたのモノを入れてほしくって、イヤらしい液体を垂れ流しながら、ヒクヒク、うずいているのよ~!

身体をクネクネさせながら、私は言いました。
「あなたのモノを入れてほしい!」

「モノって何?」
まだ彼はきいてきます。

私をじらします。

じらされると、私はどんどんエッチな興奮が高まってしまいました。

私は股間から、透明な液体を垂れ流しながら、とうとう今まで口にしたことのなかった言葉を口にしてしまいました。

「あなたのおち●△んを入れて!
もう!入れてえ!」

でもそれでもO阪(あ、再び言っちゃった)の彼は許してくれませんでした。

「どこに入れてほしいの?」

ああん!!
もうじらさないで!入れてえ!
突っ込んでええ!

すぐに突っ込んで動かしてほしいのにい!

興奮した私は
「私の”おま●こ”に入れてえ!」
私は、また、今まで口にしたことのないワードを言ってしまいました!

でも何と、彼はそれでも許してくれないのです。

「O阪弁で言ってくれないと、入れる気にならん!」

何て意地悪な彼なんでしょう。

でも、私も、いつか、母方の遠い親戚のエロイ叔父さんにきいて、そのワードを知ってました。

しまいには、私は叫んでました!!
もう、じらされるとダメなのよ!

「私の”おめ▲”にあなたの”おちん●×”を突っ込んでえええ!!」

そうすると、すぐに彼は私に突っ込んでくれました。

そして、透明の愛液をヌメヌメ、ジュルジュル垂れ流す私の中で彼は動かしてくれました。

「あん!あん!!あああん!」

彼にガクンガクンと出し入れされ、私は喘ぎ声を上げ続けました。

私の穴の壁や、奥の子宮の入り口の部分を散々擦ったあと、彼は私の中で出しました。

私の膣の中で、彼のきっと白い液体がドクンドクンと流れるのを感じました。

私は、また、”ふるさと納税”してしまったのでしょうか?

******
その後、私は地元の東京に戻り、本社勤務を数年はさみ、その後晴れて千葉にある工場の総務部長になりました。
ここなら東京の実家から通えました。

全国アチコチ行ってたので、私の婚期は遅れ気味でしたが、女性ではまだ数人しかいない”事業場の総務部長”になることができたということを私は大変嬉しく思いました。

しかし、私の千葉工場での総務部長としての船出後1年ほどを経過すると、大問題が起こりました。

茨城にある規模の大きい工場の工場長が、心臓のお病気で突然お亡くなりになってしまったのです。

比較的規模は小さい、かつ下も育って、今安定している私のいる千葉の工場長が、その茨城工場長の後釜に、本社からオファーされてしまったのです。

うちの工場長は大ベテランの人格者で素晴らしい人です。

社員たちからの信頼も人気もとても高い人でした。

そして私も工場長を大変、愛していました。

「本当は今はまだ、君に話すべきじゃないんだが。」
工場長は”堅い、固いお顔”で、私の顔は見ずに、斜めあっち側を向いて言いました。

千葉と東京の間にあるホテルのベッドの上ででした。

私をいつものように抱いたあと、「茨城に行こうと思っている」と、工場長は私に言ったのです。

私は反対しました。

「絶対にお断りしてください!
今の工場長の権限なら、本社の命令でもおことわりできるはずです!
千葉工場が今大事なところだから絶対に離れられない!とかウソでもいいから言い張ってください!!」

ベッドの上で全裸にバスタオル一枚だけの姿で私はは一生懸命、工場長に反対を唱えました。

しかし、工場長の表情は動きません。
何か決意したような表情でした。

工場長は、心の中では、茨城工場に行くことはもう決めているように見えました。

「どうして?
茨城の副工場長も全国でも有名な優秀な方じゃないですか?
あの人が新工場長になればいいだけじゃないですか?
なんで、私の工場長が、千葉を捨てて茨城に行かなければならないの?」
私は泣きそうになってそう言いました。

でも工場長の決心は固そうでした。

しょうがないので、私は口にしたくなかった、工場長のご家庭のことも口にしてしまいました。

「工場長、千葉におうちを新築したばかりで、下のお子さんが千葉の名門大学に入学なさったばかりでしょう?
奥様もきっと転勤には反対されるんじゃないですか?!」

しかし工場長は言いました。

「でも、元々は私が茨城工場の技師出身だったってこと、君も知っているでしょう?」

工場長のお生まれ・出身は千葉です。
でも工場長の社会人デビューは茨城工場だったのです!

工場長は、どうしても、”自分の仕事のふるさと”の茨城のピンチを救いたいようなのです。

私と別れてでも・・・。
ご家族を離れて単身赴任してでも・・・。

私は工場長の硬い意志に賛成するしかありませんでした。

そしてチラッと。
私も思いました。
私も新入社員時代にいた、あの美しい地方の営業支社から総務部長のオファーがもしもあったら行くかな・・・。

****

さて、茨城に行ってしまった工場長の代わりに、茨城から千葉にやってきた新工場長は、ガタイのいい茨城の名物の”天然の鮎”のような美しいイキのいい男性でした。

今までの地位は”副工場長”とまでは偉くなかったけど、茨城工場のトップ3か4くらいと言われる人だったらしいです。

元のうちの工場長よりも経験は全然少ないし、若いし、実績もないけど、ピカピカしてて元気なイイ男でした。

それになんと、なんと、まだ独身だそうです!!

私と年回りもとてもいいし!!!

「工場長がいなくなるってきいて、すごいいやだったけど」
「ね、工場長が私たちより、茨城を選んだの悲しかったけど」
「しょうがないわよ。会社の命令じゃ」
私はお昼休みに同じ年齢くらいの工場の女性社員たちと、この人事について話をしました。

「新しい人、なんか強そうね!」
「やだあ!強いって何よ!」
みんなはキャッキャ笑いました。

女性たちみんなが出した最終的な結論は、
「茨城県にしたふるさと納税返戻品も中々捨てたもんじゃなかったわね!!」
と言って、みんなはこの人事を喜びました。

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