45歳主婦の私が不倫デビューに至るまで

普通の人妻だった私が変な世界に迷い込んでゆく


ピンクのビキニで両手を上げている

主人以外の男とのセックスがこんなにいいと思わなかったです。

彼はとてもじっくり前戯をしてくれます。

まずは、私の唇も舌もねっとり、長時間求めてくるんです。
私の唇を彼はむさぼります。

そして口の中を舐めまわされ、舌を強く引っ張られるように吸われて、キスが大好きな私はもうトロトロになってゆくのです。

そのあと、じらすように乳首から遠く離れたところから、・・・そう、私のおっぱいの膨らみの裾野くらいから彼は触り始めて、徐々に中心部分に迫ってきます。

彼の手は私のおっぱいの脂肪部分を揉みながら、ときどき数秒に一回、軽く敏感な乳首をかすめます。

乳首を擦られるたびに、だんだん
「ああもっとそこを重点的に触って欲しい!」
と私は願ってしまうのです。

散々じらされたあとに、最後に彼に乳首にしゃぶりつかれたら、もう私は、はしたない声をあげちゃいます。

お股はもう濡れ濡れになってしまっています。

私のそこをピチュピチュ、変な音をさせて彼がいじり出すと、もう入れて欲しくなります。

でも彼はそんな私を許さず、なかなか挿入してくれなくって、そのあとも私の下半身の一番感じるピンク色のところを散々舐めるのです。

私はそこで一度、イカされてしまいます。

私は彼に、自分がイッテしまう恥ずかしい姿を早くも見せてしまうのです。

脚がギュッととじて、下半身がヒクヒクします。

私を前戯で一度グッタリさせたあと、やっと彼は私の中に入ってきます。

一度イッた私は、ジェットコースターのような加速度をつけて再びのぼりつめてゆきます。
自分の感覚を止めることができません。

若い彼は、私の中でとても激しく出し入れ出し入れしてきます。

ジュルジュルの私の膣をつつきまわします。

そして彼は少し腰の動きを止めて、私の上半身の方に覆いかぶさって再びキスをし
「出していい?」
とささやきます。

私は小さな声で言います。
「いいわ・・・」

でもそのあとも、ネトネトの壁を擦り続け、お腹の奥までつき続け、なかなか彼は出してくれません。

最後は私が狂ったように
「ああ!出してえ!出してえ!」
と大きな声で言ってしまいます。

私が降参してから、やっと彼は私の中にドクドクと出してくれます。

あああん!

そのドクドクを感じつつ、私は身体を振るわせるのでした。

****

初夏に義理の妹が亡くなった。
主人の妹で、まだ若かったのに心臓の病気で突然に。

いくつか原因は考えられた。
仕事が激務だったからか?
その上、奔放に遊び回り、お酒を飲み、不摂生だったからか?

義理の妹は独身だった。
主人兄妹の両親ももう亡くなっていたので、お葬式やあとのいろいろな手続きや処理は、私たち夫婦がとり行うことになった。

まるで悲しみを紛らわせるためかのように、忙しくいろいろやることが私たちには用意されていた。

義妹は自分の死後にやってほしいことを書いて、主人と私と事務所のお手伝いの人にノートを3冊残していた。

保険のことや不動産のことなどの処理については、夫へのノートに託されていた。
お手伝いさんへのノートには、仕事のことと、連絡してほしい人のリストや、住所録の在処についてなどが書いてあった。

私に残されたノートには、変わったことが書かれていた。

それはあまり重大には思えず、急ぐものではないと思われたので後回しにした。
他に二人を手伝うことがたくさんあり、私は忙しかったからだ。

やっと落ち着いた頃に、私は義妹から残されたノートを再び開いてみた。

そこには
『ブログの処理について』
と書いてあった。

義妹がブログをやっているなんて知らなかった。

『お義姉さんだけにお願いしたいことです。
お兄さんにもお手伝いの人にも絶対に言わないでこっそり処理してください。』
と書いてあった。

私はノートに従って、義妹のパソコンを開いた。

指定されたURLをパスワードで開けると、義妹のブログがあった。

『35歳オンナのブログ』

驚いた。

それはエロブログだったのだ。
いやらしい官能小説のようなものが書かれていた。

自分の兄にも、他の人にも知られたくなかったのだろう。
普段から比較的ぶっちゃけ話のできた私にだけ託したかったんだろう。

義妹のノートには、ブログの運営費用の支払いや、ブログの閉め方について書いてあった。

でもその手続きをする前に、私はそのエロブログをじっくり読んでしまった。

夢中で読んでしまった。

実に下品だがエッチでおもしろかった。

そして、私はこのブログを閉じるのを惜しいと思った。

まだ、発表されていない義妹の記事も、下書きとしてたくさん残されていた。

この下書きが尽きるまでは、義妹のブログを続けてみたいなあと、私は思ってしまった。

私はブログの使い方などをいろいろ調べはじめた。

そのとき、パソコンのフリーメールにたくさんメールがたまっていることに気づいた。

義妹のノートを読むと
『パソコンのフリーメールは、ほっておいてくれて結構です。』
と書いてあった。

ふーん。

私は何気なくフリーメールを開いてみた。

宣伝や売り込みメールなどの中に混じって
「どうしたの?
何かあったの?」
そんなメールが”佑太”という人から来ていた。

メールの過去の履歴を見ると、その佑太という人と義妹は頻繁にメールのやり取りをしているようだった。

今日、何があったとか、仕事の相談ごととか、たわいない内容もあれば、『好きだよ』などという恥ずかしくなるようなやり取りもあったし、エッチなことを匂わすような会話もあった。

エロブログのことについても、メールには書いてあった。

遡って読んでいくと、どうも義妹はエロブログを通してその”佑太”とメル友になったようだ。

義妹35歳と、佑太32歳のメールのやり取りは、義妹のブログよりも面白かった。
私はすっかり読みいってしまった。

男女は自分らの写真の交換まで頻繁にしていた。
二人は実際に会ったことは一度もないようだ。

最新の佑太さんのメールの
「どうしたの?」
というのは、義妹が死んでしまってからメールのやり取りが途切れたからだろう。

佑太さんのメールには
「携帯に電話しても通じないし。
ブログの更新も止まっているし、どうしちゃったんだ?
入院でもしたのかな?」
そして
「それとも、もう僕とのやり取りがしたくなったのかな?
この僕のメールも、もう読まれることもないのかな?」
とあった。

私は、この佑太という人に、義妹の死んだことをメールで告げようと思った。

しかし、そのとき家の電話が鳴った。
義妹の家は、仕事の事務所と兼用になっていて、仕事関係の後処理のために、まだ家電を使い続けていた。

「はい。桜林です」
と私が電話に出ると
「佑太です」
という声がした。

うわ!メールの人からの電話が来た!!

「桜ちゃん?
桜ちゃんどうしたの?
ごめん!事務所には電話しちゃいけないと思ってたんだけど、どうしても気になってしまって」
と電話の主、佑太さんは言った。

「あ!あ!ど、どうも!
い、いつも、お世話になっております!」
と、私は咄嗟にそんな挨拶をしてしまった。

「実はあのう・・・」
と、私が義妹の死を告げようと思ったときに
「ごめん。
やっぱり事務所には電話しちゃダメだったかな?
でも元気な声が聞けて良かった」
と佑太さんは言った。

そう言えば、私と義妹の声は血も繋がっていないのにとてもよく似ているとよく言われる。

「電話、切るね」
と佑太さんは言うと、電話を切ってしまった。

うわあ!
私は義妹だと勘違いされた。
メールで義妹の死を伝えなきゃ!

私はPCの前に戻った。

そのときに佑太さんからPCにメールが届いた。
「さっきは電話しちゃってごめんね。
桜ちゃん、病気じゃないの?
大丈夫なの?」

私は何となく、義妹の死を佑太さんに伝えられなかった。

「ごめんなさい。
忙しくて返事ができなかったんです。
全然、病気じゃないのです。
とても健康です。」
と私は書いてメールを返信してしまった。

すると
「本当?
どうして敬語なの?」
とメールが来た。

そして続けて
「もしも、もう僕とやり取りするのが嫌になったのなら、はっきりそう言ってほしい。
8月▲日の約束はもう無理なのかなあ?」
と来た。



私は過去の義妹と佑太さんとのメールのやり取りを漁った。

一か月ほど前のメールにあった。

二人は、8月▲日に初めて会う約束をしていたようだ。

ど、どうしようか?

「忙しいから会うのは9月にしてほしい。
一か月先に延長してほしいなあ。」
私はそんなことを書いてしまった。

バカか。
そんなこと書いてどうしようっていうのか。
9月になったら義妹が生き返るとでもいうのか?

でも私は書いてしまった。
それにさっき敬語をおかしいと思われたので、タメ口にしてみた。

それから私は、義妹と佑太さんのメールを全て読んで、佑太さんの情報を得た。

彼は独身で、いい企業に勤めている。

メールを読むと、二人はまだ、電話で直接話したことは2回くらいしかないようだということもわかった。


その後、この夏、私は義妹の住居兼事務所の後片付けをお手伝いの人と一緒にしながら、義妹のパソコンを使ってちょいちょい佑太さんとメールをして、また、義妹の残したブログの下書きをアップし続けた。

ピンクのビキニで両腕を曲げている
そしてやがて、義妹の残したブログの下書きの記事はなくなった。
とうとうストックが尽きた。

でもまだ少し、続けられそうだった。

実は私は義妹のマネをして、自分でいくつかエロい話を書いていたのだ。
私には時間があった。

その自分で書いた記事を初めて義妹のエロブログに出した日に、佑太さんはメールでこう言ってきた。

「やっぱり疲れているんだね?
ホント、忙しいんだね?」

こういうことだ。
「誤字脱字。
いつも結構あるけど、今回ものすごく多かったから」

あ!

「無理しないで。
でも、すごいよなあ。
桜ちゃんが多分一生懸命考えて工夫しているんだと思うけど、今日のブログはまた雰囲気がなんかガラッと変わったよなあ」
と、佑太さんからメールが来た。

はは。
一生懸命マネして書いたがしょうがない。
義妹とは、性格も生活形態も全く違う人間の私が書いているのだから。

もうひとつ厄介なのが、義妹はいつも自分の写真をブログにアップしていたことだった。

顔は隠していたが、やらしい下着みたいのや、ナース姿や、なんと高校生時代のものらしき制服や、スクール水着なども着てコスプレ写真を撮っていた。

義妹はスリムで、自信があったのだろうとはいえ、よくやる。

義妹の遺言ノートには、デジカメに残されたこれらのコスプレ写真も削除してほしい、自分の写真が完全に消去できたら、デジカメは捨ててもいいし、もしよかったら、私の子供にあげてほしいとあった。

でも私は消さずに、デジカメに残っていた義妹の写真をブログにどんどん使っていった。

写真の残りもなくなったときに、いよいよ、私は自分の写真を撮ってみた。

大胆にも、若いころのビキニでやってみた。

義妹の写真と私の写真を見比べると、ちょっと私の方が脚が長いが、それ以外はとてもよく似ていたので、イケると思った。

しかし佑太さんはするどかった。

「なんか太ったね。
でもよかった。
健康の証拠!」

こうして私は義妹になりすまし、ブログとメールを続けた。

でも9月になり、とうとう、佑太さんに会う約束の日が来た。

いよいよ、私が自分の”悪戯をネタ晴らし”する日が来た。

そうだ。タチの悪い悪戯だ。

死んだ人になりすまして、人をからかって。

そして死者を愚弄して。

いや、断言したい。
愚弄はしていない。

私は義妹の残したエロブログのことを大好きになっていたのだ。
あれをどうしても続けてやりたかったのだ。

でも、種明かししたら、どんなにあきれられるか怒られるか覚悟して、私は佑太さんとの待ち合わせ場所に行った。

佑太さんは写真どおりのいい男だった。

「35歳独身の義妹の言動を真似て、義妹のフリをしてブログを書いたり佑太さんとやり取りしていたのは、45歳主婦のこの私でした」
と私は白状した。


「そんな気がしたんだ」
と佑太さんは言った。

佑太さんはしばらく空を見上げていた。

しかし、顔を戻すと、
「前にメールで送ってくれたアレは誰の写真だったの?」
と言った。

「は?」
と私が聞くと
「あのメールの女性の写真は誰なの?」
と佑太さんは言った。

「あ、だから義妹の写真ですが・・・」

んん?
なんか、話がかみ合わない?

あ、義妹が死んだこと言ってないっけ?。
一番、大事なとこ言ってなかった!!

私、「義妹のフリをしてました・・・」としか言わなかったっけ?


「そうかあ」
と佑太さんは溜息をついた。

「ごめんなさい。騙したようで」
と私は頭を下げた。

すると
「いいよ」
と佑太さんはニコッと笑った。

そして佑太さんは急に明るくなった。
「実際の君がどうであれ、僕は君のブログの内容のファンだったんだからいいんだよ」

あ!
やっぱり、伝わっていない!

義妹が死んでからではなく、最初から私が自分の義妹の写真を使って、35歳の独身のフリをしていたんだと思っているみたい?


そして佑太さんは笑いながら
「でも、もっとキツい人かと思ってたら、会ってみたらこんなにふんわりした人でびっくりした。
それって、なんだかすごく嬉しいサプライズかも」
と言った。

そして佑太さんは、今後もまた私に会いたいと言った。

こうして、私たちは付き合い始めてしまった。

そして秋も終わるころには、私は佑太さんに抱かれるようになってしまったのだった。


---------終わり---------------



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