JKが乱交に至るまで
スカウトマンのお兄さんとラブホへ

私、バカだし、文章を書くのが下手なので『ですます調』と『〜だ。〜である調』が混ざっても許してくださいね。
あと、文章ではよく一人称を統一しろとかいうけど、あたし、それのどこがいいのかよくわからんし。勘弁ね。
私が休日に渋谷のスクランブル交差点を自慢の太ももをさらけ出してミニスカで歩いていたときです。
白いワイシャツ姿のお兄さんに声をかけられました。
「芸能事務所のスカウトの者です」
私は立ち止まりました。
お兄さんは名刺をくれました。
その名刺には『芸能プロダクション●×社』という会社名と、某女優さんの所属事務所であると書いてありました。
その女優さんは私が名前だけはかろうじて知っているくらいの人でした。お母さんやお父さん世代の女優さんでした。
「うちの事務所で働いてみない?とにかく話をきいてほしい。時間ある?」
でも先を急いでいたので私は断りました。そのころは芸能界に何の興味もなかったので。
あるいは、詐欺だと思ったので。
私が断ると少しだけねばったあと、お兄さんは最後に
「残念だなあ。かわいいなあ。事務所はどうでもいいけど、個人的につきあいたいなあ。僕の彼女にしたいなあ!!」
と言いました。
そして私は肩を一瞬、お兄さんに抱かれました。
ネチネチお尻を触る勤学電車の痴■みたいじゃなく。さりげなく、一瞬だけ私の肩を抱いたお兄さんでした。
私は悪い気はせずに、笑ってその場を立ち去りました。
次の日の平日に、そのお兄さんのことを思い出すことがありました。
学校でいつも意地悪な先生にまたネチネチ意地悪をされたときに、私はそのお兄さんを思い出しました。
いつも世の中の大人はみんな私に意地悪で厳しいのに(先生も父も母も)昨日のお兄さんは優しかったなあ。
あの人は私を喜ばすことを口にしてくれた。
スカウトを断ったあとにでもだ。
他の大人たちは若い者を少しでも褒めたら、自分が損をするかとでも思っているように褒め言葉を控える。
けなすことばかり口にする。
6年生のときに中学受験の全国模試で女子で3位だった私のことも父は褒めなかった。
3位になったことを伝えたくて、その日、父が帰ってくるのを心待ちにして、走って玄関に迎えに行ったとき父は私に言った。
「そんなの当たり前だろ。その程度で浮かれていたら●×中学には受からないぞ」
父はニコリともしなかった。
父の言っていることの意味はわかっていた。
これからも引き締めて頑張れということだろう。
頑張ったのにひどいわ・・・とは私は思わなかったが、
なんで、お世辞や相手を喜ばすことの一言でも言えないのか?大人は?
と思った。
いや言葉は厳しくてもいいよ。
「そんなの当たり前だ」と口では一生懸命、厳しいフリをしながらも、でも、嬉しくて思わずニヤニヤ喜んでしてしまうとか、どうしてそういう芸当ができないのかよっ?!とそのとき私は思ったのだった。

渋谷でスカウトされた次の日の高校の意地悪な山谷先生たちもそうです。
6年生のときと違って私はかなりの劣等生になっていました。
皆の前で、私のレポートについて落第点ぎりぎりの及第点をつけたと山谷先生は言いました。
「この構成、取り組み方はとても正しい。正しいやりかただ。だから合格点ギリギリにしてやった。」
と山谷先生は言ってくれました。
先生は続けました。
「しかし、全体的に汚い文章。誤字脱字だらけ。一回も読み返していない感じ?後半の投げ出し方!!」
そこまではきいているクラスのみんなもウケていました。
みんな笑っていました。
持ち上げて落とす!みたいなおもしろさ?
でも先生は少しもふざけていない冷酷な表情のまま続けました。
「本当に君の態度にはいつもあきれる!!」
そんな先生の表情に、一回は笑ったもののクラスのみんなも氷ついて行きました。
「これで大学に行けるのか?やっていけるわけない。君の将来が心配だ」
と山谷先生は言いました。
これが月曜日の1時間目よ。
月曜日の2時間目と3時間目の間の休憩時間では、廊下ですれ違った海原先生という先生に挨拶をすると私は無視されました。
そのあともお昼に海原先生に食堂で会っても無視されました。
でも私はおじけませんでした。
帰りの駅のホームで会ったときにも海原先生に挨拶をしました。
先生はまた私を無視しつづけました。
一言も何も返してくれませんでした。
でも私は意地でも先生に話しかけ続けました。
駅のホームの周りのサラリーマンやおばさんや、大人たちはびっくりしていました。無視されても話しかけ続ける学生服の私と、無視するおじさんの大人の先生を皆さんは驚いて見ていました。
先週末までに出さないといけなかった海原先生へのレポートを週明けに出した私のことを先生が怒っていて、話をしてくれないのだと私にはわかっていました。
でもあんまりじゃない?
私は、なんでそんなに大人はみんな意地悪なんだろうと思っていました。
いえ、学校にも優しい先生もいたけど。
クラスの担任の林先生は私にも優しかった。
でも林先生は、誰にでも優しく明るく接するスタンスだから。
劣等生にでも、優等生にでも、ネクラちゃんにでも、リーダー女子にでも、可愛い女の子にでも、おデブちゃん女子にでも。
そう。林先生は熱血で誰にでも熱心で優しいから。
それが先生のスタンスだから。名門女子高で頑張る30代の熱血男性教師だから。
逆に言うとこっちは関係ないの。
かえって、先生にとっては生徒は関係ないの。ご自分がここで働こうとしたときに、多分、ご自分でお決めになったご自分のスタンスなので。
だから私が優しくされてもありがたみがなかったのです。
林先生に優しくされても自分に価値があるともなんとも私には思えませんでした。
若い女の英語の森山先生も私たちの学年の女子には優しかった。
いつも英語のテストで50点しか取れない私にもすっごく優しかった。丁寧に指導してくれた。
でも私は知ってた。
大学出立てで、綺麗で若い森山先生は私たちの先輩の3年生の女子に総スカンを喰っていたからだ。
3年生の先輩女子はもう17歳か18歳?
20そこそこの綺麗な森山先生に3年生女子はめっちゃ対抗心を燃やしていたようだ。
3年生の女子が全員で、森山先生の授業をボイコットしたときはちょっと事件になった。
また森山先生が3年生女子に向かって割と初期の頃に、
「私はあなたたちのご機嫌とりじゃないのよ」と発言したとかしないとか、それがいけなかったのでは?と下級生の間では噂になった。
で、森山先生は3年女子と全くうまくいかない反動で、2年生のまだ無邪気な私たち学年の女子が大好きなだけだった。
それで劣等生の私にも優しかっただけだと私は思っていた。
私に別に価値があるわけではない。
そう・・。ここまで書いてわかりました。
自分の気持ちがわかりました。
私は自分の価値を認めてくれる大人が欲しかったんだと思います。
日曜日に渋谷で会ったスカウトマンのお兄さんみたいに。
火曜日、私は家でリビングのゴミ箱をあさった。
日曜にもらった渋谷のスカウトマンのお兄さんの名刺をお母さんに見せたら、一瞬、そこに書かれた往年の女優名に目を止めたお母さんだったけど、すぐにその名刺をくしゃくしゃにしてゴミ箱に捨てたのだ。
私はその名刺を探した。
日曜にくしゃくしゃにされた名刺はきれい好きの母の仕事で、火曜日の夜にはもう、大きなゴミ袋に詰められて、玄関前に置かれていた。明日、朝一でゴミ置き場に持ってゆくためだったろう
私は家族の者に見つからないようにそのゴミ袋をあさって名刺を見つけた。
水曜日に名刺のお兄さんに電話をした。

その後の展開はあっという間だった。
スカウトマンのお兄さんと渋谷のカフェで待ち合わせた。
もう一回だけ
「事務所で面接する気はない?お母さんお父さんに話してくれたの?」
と聞かれたけど、それは無視して
「事務所はどうでもいいって言ったじゃないですか?彼女にしたいって言ったじゃん!」
と私は言いました。
****
お兄さんについていった初めてのラブホテルで、私は複数の男の人に犯されました。
スカウトマンだったはずのお兄さん含めて4人でした。
体中を4人の人に触られまくりました。
乳首をチューチューされると気持ちいいのだということを初めて知りました。
それまでは一人でオナニーをするときは、洋服を着たまま、手は使わずに、うつ伏せになって床に性器をこすりつけるだけのことしかしたことがなかったので。
男のギラギラした顔に見つめられながら、男の手で乳首やアソコを触られる快感を初めてしりました。
オナニーのときはなかなかいけないのに、複数の男に求められて、体に群がられる快感を初めてしりました。
いわゆる前戯というやつがこんなに気持ちいいとは知りませんでした。
乳首やクリトリスを柔らかい舌で舐められて私は何度もイッテしまいました。
そのあと、代わる代わる、4人に膣の中に出し入れされるのは身体的には別に気持ちよくなかったです。
いわゆる本番というやつは、話にきくほど痛くはなかったけど、別に気持ちよくなかったです。
でも膣にメリメリと太いものを押し込まれる感じは感情的には嬉しかったです。
何より、4人の大人のひとが、まるで狂ったっように夢中で私の中に突っ込んできたことにより、私は心情的に満たされました。
前戯の気持ちよさに比べて、挿入は気持ちよくなく、もしかしてこれって私ひどい目にあっているのでは?
とも少し思いましたけども・・。
うつ伏せになったり、四つん這いになったり、立ったまま持ちあげれたりして、何回も4人の男の人に出し入れされました。
でも、やがてスカウトマンの男の人が皆を止めました。
暗くなってきた頃、私は開放されました。
私は服を整えると、ホテルを出ました。
私は泣かなかった。
悲しくなかった。
トータルそれほど気持ちはよくなかったけど悪くなかった。
屈辱感もなかった。
とにかく早く家に帰らなきゃ。
それだけを事務的に考えて私は渋谷の駅に急ぎました。
私はたとえセックスのためであっても、身体目的だけでも、それでもいいから自分の価値をストレートに大人に認めてほしかったんだと思います。
------終わり-------------
〈最新ページに行く〉
〈索引ページに行く〉
〈女性の特徴別検索に行く〉