暴力がいけないたったひとつの理由

何で暴力をふるっちゃいけないかわかる?
肉体的負傷というのが、人類の力では治せない場合があるからよ。取返しがつかないからよ。
それだけだと思う。
そして動物の野生界では、小さな怪我が命取りになるからよ。
あっ人間のスポーツ界でもそうか。
いやパソコン打つ人界隈でもそうよ。
手、指の怪我は命とりよ。
文章だけなら音声入力という方法もありますけども。パソコン使うのって文章を書くことだけじゃないからね。
暴言で心を痛めることもあると思うけど、多分、心の傷はもしも暴言相手が謝罪したり、被害者の周りの人間の愛情や、お医者さんや、本人の努力があれば消せる可能性はあると思う。
でも身体の傷は絶対に治せない場合があるのよ。
間違いなく。医学の限界でね!!!
謝罪でも本人の努力でも肉体の傷は消せないのよ!!
だからダメなのよ。暴力は。
暴力がダメな理由はそのたったひとつだと思うのですよ。私は。
人類の力ではカバーできないことがあるからなのよ!!!
「俺らの若いころは、教師の暴力なんて当たりまえだった」とか言っちゃう人はそのことがわかっていない。
「愛情があれば暴力の指導もいい、愛情のない暴力がだめなんだ」って言っちゃう人はそのことがわかっていない。
huugetuちゃん、いい子ぶるなあって言わないで。
私だって学校で先生にぶたれた世代よ。
いや、私の運動部でそれはなかったし、女子だからそんなにされていないけど、一度、授業中におしゃべりをやめなかったら音楽の先生に出席簿で頭をぶたれたときはものすごく痛かったわあ。
先生に「お前は本来は悪い子じゃないくせに、悪い子ぶるな!」
と怒られながら、出席簿でぶたれたのね。
愛情あったし、「センセはするどいこと言うなあ」と感心したし、先生のこと嫌いにならなかったし。私も反省できたしいいんだけどさ。
でも暴力はダメなのよ!
いい子ぶるなよ!!って言わないで。
私だって決していい子じゃないのです。
いい子じゃない上で、暴力はいかんよっつってるの。
では、私の過去の自分の暴力エピ(加害者側)を披露しましよう。
huugetuの暴力エピソード①
若いときに思ったことがあるのです。
私、腕力が弱くて本当によかったわあ〜!!って。
私、若いときに自分の彼氏をすごくぶってしまったことがあったの。
許せないことがあって。(ま、よくある話・・・浮気よ・・浮気・・・・)
教育的指導よ。ってか、どれくらい私が許せないことかを伝えるために彼氏をぶった。
彼氏を3、4発、手でぶったのです。
そのあと、冷静になって反省したときに私が思ったことは・・・・。
自分、腕力がなくってマジよかったああ!と思いました。
奇跡や。
神の奇跡や!と思いました。
異常に気性の激しい私に腕力を与えなかった神に感謝です!!!!
私、昔から、脚力がすごいのですけど、腕力ゼロで、握力が確かそのころ子供並しかなかったのかな
(画像見てもわかるでしょう?BMI17以下なのにそうと思えないくらい私の脚、ものすごいたくましいでしょう?・・・・に比べて腕の細さよ。ちなみに指輪サイズも3号という、手の子供並のかよわさよ)
腕力が必要なスポーツに憧れてそのスポーツにまい進していましたのに、鍛えても鍛えてもまったく腕力のつかなかった私。
神を恨んだこともありました。
でも、気性の激しい私に腕力を与えなかった神にそのときは感謝ですよ!!
よかったあ。彼氏にキックしなくって。
子供並の腕力だから、私がヒステリーを起こしても彼を手でぶっても大丈夫だったのよ。
でもそれはたまたまなのよね。
もし私の自慢の脚で彼氏をキックしていたら大変なことになっていたと思うし、もしも彼の股間とかを攻撃していたら取返しのつかないことになっていたと思うわ。彼の人生終わりだったと思うわ。私の人生も終わりだったと思うわ。
huugetuの暴力エピソード②
『顔ぶたないで!私女優なのよ!』(BY薬師丸博子)
『顔はやめときな!ボディにしな!ボディ!』(BY三原順子)
じゃないけど、私の場合、『顔』じゃなくて絵を描いているときに『手』を痛めたら、人生終わると思ってました。
でもその頃、たまたま、息子が言うことをきかずに、大もめすることがあって、私は『指導』、『教育』という名の元に彼に手を挙げたのです。
グーでね!
でも、やりなれないグーパンチ(昔彼氏をなぐったのは平手ね)で、自分の手がひどいことになっちゃって。
指の骨がおかしくなったみたいだった。
私は、息子の痛みも心配せずに、息子を怒っていることも忘れて、泣き叫びました。
「絵が描けなくなるうう!!」と言って。
息子を置き去りにして、洗面所に走り、泣きながら、手を冷やす私。
「ああ!ああ!人生が終わるう!」
と言いつつ。
腱鞘炎の話はここでもよくしますが、そのころから時々、腱鞘炎が発生してて、『やばい。繊細な筆遣いができないなあ』と、いつも悩んでてそれで心を痛めていた時期でもあったので。
(いや、今思うと繊細な筆遣いができないのは、腱鞘炎のせいでなくて画力のせいなのですけどね)
これは、殴った方の話ですが、こっちがダメージを受けるということは、相手にもそのダメージを与えかねないということなのよ。
このときは、頑丈なスポーツマンの息子は私の弱々のグーパンチ、全然、大丈夫でしたが。
そうよ、息子はスポーツをやっていたのよ。もしも私のグーパンチのせいで、息子のスポーツに何か影響が残ってしまったら、私は一生、悔やんでも悔やみきれなかったでしょう。一生、償わなければいけなかったでしょう。
その少しあとに暴力ではないのですが、試合中の対戦相手の乱暴な当たりのせいで大怪我をして大きな大会への出場を断念した息子でした。
私は日本中の医者をたよったけど、息子の怪我は試合に、たった1週間だけ間に合わなかった。
息子は一週間後にはぴんぴんしてたのにですよ。
医学の限界というか肉体の限界というか。
人生、不可抗力でもこういうことをあるんですよ。
なのに、わざわざ人為的に肉体的に傷をつけることは、例えどんな意味があっても絶対にだめだろうというのが、ホント、実感です。

huugetuの暴力エピソード③
私が前の会社でパソコンをよく使う部署にいたとき。
部署内の親睦会っていうか、レクリエーションで何かスポーツ大会をしようってことになったのね。
私はその前の営業マンの時代にやったドッジボール大会をやりたいと言った。
めっちゃおもしろかったのよ。
ルールも単純だし、スポーツ嫌いの人もドッジボールならおもしろいと言って、ノリノリで。
で、全員で、二手に分かれてドッジボールをする。
いつも歯向かえない上司だけをバンバン狙う人もいたりして、超、おもしろかったのよ〜。
負けじと上司も、がっちりうけとめたり、横投げなどの技をくりだしてくるし。
いつも大人しい女性が味方とパスしあってからのタイミングを見て速攻攻撃をしたりして。
みんな子供のころを思い出した。
もう実におもしろかったし、盛り上がったのよ。ドッジボール大会!
もちろんそういう職場のレクの時は、保険にもちゃんと入るんですよ。もし、怪我しても大丈夫なように。
でも私の上司はドッジボール大会は却下して卓球大会になったのね。
私が文句言うと、上司は
「君たちの『指』は我が部署の『命』なので、つき指をしかねないドッジボールは絶対にダメ」って言ったの。
パソコンを多用する部署だからね。
でもそれを聞いた一部の部員たちは
「ええええ!!私たちの価値って『指』だけなのお??ひどおおい!!」
と怒りました。
先輩は
「部長はオレ達の能力を『手』や『指』だと思っているんすか?違いますよ!!頭脳でしょう?』
と頭を指さしながら、文句を言いました。
私はすかさず
「いえ!私たちの価値はここですよ!」
と言って、自分の胸を指さしました。
「私たちの『命』は『手』や『指』じゃないです!!ここですよ!」
と私は自分の胸を指しました。
胸ってね、『おっぱい』じゃないよ。
ハートね!ハートっていう意味ね。『心』で商売しているっていう意味ね。
そして自分たちの価値についての話になり、ドッジボールから話はズレていったのですが・・・・。
今となれば、毎日パソコンを触らないことには、いくら頭がよくってもハートがあっても商売にならないので、部員たちの『指』を必死で守った部長の気持ちはわかる。えらい!
そうよ。部員たちにおもしれえからっていうことだけで、ドッジボールをさせようとした当時課長の私はアホなのよ。浅はかなのよ。
皆の『指』をまずいことにさせても構わないと思っているなんて、これ、一種の暴力なのよ。
その数年後に、自分が絵を描くようになってからやっとわかりましたけどもね。
huugetuの暴力エピソード④
このブログで何回も書いているけども、『私、顔射されたら殴るよ』ってさ・・・。
あとなんだっけ?
エロブロガーとして、絶対に言ってはいけないのに、私がよく言っていること・・・。
ああ、思い出したわ。
駅弁セックスされて、途中で男が腕の力が耐えられなくなって、下に落とされたら『私は殴るよ!』・・・だったわよね。
嘘よ。だめよ。もう殴らないわよ。
最近、私、腕力もつけているので。殴ったらもしかしたら取返しがつかないからよ。私は二度と、暴力はしないことを誓うわ。
もしも、私の同意なく、急に顔射されたり、駅弁中に男の腕力がつきて下に落とされでもしたら、私、『別れる!!』って口走るかもしれないし、思い切り不機嫌になってベッドで背を向けて布団にくるまるかもしれないけど、殴るのは金輪際やめとくわあ。
ここに誓うわ!
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